第35回 IKEAの新しいPSコレクションの発表パーティー

第35回: IKEAの新しいPSコレクションの発表パーティー(2002/4/10)     会場入口のパネル 会場入口のパネル, IKEA 50年代、60年代の家具, 雑貨 3月20日SohoのPuck ビルディングでIKEAの新しいコレクションの発表パーティーが行われました。 IKEAは1943年に設立、名前の由来は創立者がイングバー・カンプラッド(Ingvar Kamprad)の頭文字と彼の育った南スエーデンの土地の名前エルムタリド・アグナリド教区(Elmtaryd in the parish of Agunnaryd)からとったそうで、現在32カ国に164店舗をもっています。そのうちカナダを含め北米には23店舗があります。NYには店舗がはく、ニュージャージーかロングアイランドの店に行くバスが、マンタンから出ています。毎年9月頃新しいカタログを出版するそうですが、私も何気なく毎年もらっているカタログ、なんと11憶冊つくり、24カ国語に訳されたものを32カ国におくり届けているそうです。カタログの中には異なった8万のアイテムが収められています。 アメリカにおいて広い購買層を持ち定着しているIKEAは、ちょうど今の、日本のユニクロの家具版といった感じで、安くて、便利、専門店をまわらなくても全て揃うので、安価なインテリアに子供部屋に、買い揃えるという用途でられています。 今回のIKEA・PSコレクションの発表パーティーはニューヨークではじめてのもので、約1100平米(1万2千平方フィート)の広いスペースの半分を展示会場に半分をカクテル・ラウンジのパーティー会場にレイアウトして行われ、NYのデザイナー、業界の方々で賑わいました。 このPSコレクションは手紙の追伸に使うPost Scriptumの意味で、最初は1955年にミラノで、1999年にはストックフォルム、そして2002年ニューヨークでの発表となりました。     今回は「アウトドアー用を室内に・インドアー用を屋外に(Outside in and the inside out)」をテーマして、PSコレクションの為に選ばれた17人のデザイナーが取り組みました。プラスティックからコンクリート、石、Rattan, 金属、バナナリーブス迄を含む、様々な材料を使って、外にも、内にも機能的でユニークなインテリア・グッズのデザインが30種以上発表されました。真っ赤なアウトサイド用にもなる時計をデザインしたHlynur Vagn Atlasonは、パーソンズ・デザインスクールを卒業したばかりの新人からスウェーデンの著名なデザイナーThomas Sandellを含み、IKEAインハウス・デザイナーのMaria Vinkaが出席してたので、彼女のロッキング・チェアーに関して質問してみると、ベトナムに何度か行ってバナナの茎をひもにして織り上げてもらった材料で、この椅子をつくりあげた喜びを得意気に説明してくれました。IKEAのインハウス・デザイナーは常に新しく機能的で、良いデザインを、プロダクトデベロッパーと協力して、消費者が喜ぶもの、価格に仕上げていくのが、タレントと解釈していて、それを楽しみながら行っているように受け取れました。   展示会場風景 展示会場風景 照明具ランタン : Design by Christina Halskov & Hanne Dalsgaard Pedestal Clock 屋外展示時計: Design by Hlynur Vagn Atlason(NY Parson’s 卒) Strage Bag収納バッグ : Design by Nicolas Cortolezzies チェアーとFoot Stool足用スツール : Design by Thomas Sandell

第34回 ジャパン・ソサエティとアジア・ソサエティ・ミュージアムで同時開催の “The New Way of Tea”展

第34回: ジャパン・ソサエティとアジア・ソサエティー・ミュージアムで同時開催の“The New Way of Tea”展 (2002/3/13)    改装されたアジア・ソサエティ “The New Way of Tea”展がジャパン・ソサエティーとアジア・ソサエティー・ミュージ アムで3月6日から5月19日まで同時開催されています。2つのアジア系ミュージア ムが第1部会場、第2部会場という形で行うのは今までになかった大きな催しで、2日 に及ぶオープニング・パーティーでは、2会場を結ぶシャトルバスが運行されました。 今回の“The New Way of Tea”展でジャパン・ソサエティー・ギャラリーでは伝統的な建 築様式を含む3つの茶室を設置し、選ばれた茶器そして襖絵を展示しています。ここで は黒川雅之の立礼形式を取り入れた椅子に座る和紙の茶室、喜多俊之の輪島塗りの立方 体で囲まれた茶室、そして伝統的な裏千家の今日庵の複製が置かれています。 展覧会の総合インスタレーションは北河原温のデザインで、入口のギャラリー・スペ ースを、茶室までの誘導の空間、細道というイメージで設置したそうで、暗い空間に異 なるサイズの光の窓があり、その中に浮かび上がる名茶器達を眺めながら誘導されて茶 室に向かうという構成です。茶器はこの展覧会の企画をした茶道・裏千家15代家元千 宋室次男の伊住政和氏(財団法人国際茶道文化協会理事長)と林屋晴三氏が選出した茶器な ど60点です。細道が開かれたところに喜多俊之の茶室が設置され、壁面は千住博の林 をイメージした大きな襖絵が展示され、ここにもいくつかの茶器が展示され、今日庵 の復元は近寄って中まで見られるようになっています。 12世紀後半に禅僧栄西が中国か らもたらし、16世紀後半に千利休が形と精神を一体化し、大成させて茶道。この茶の 湯の精神的な美学と環境、茶道具等を通して探る目的と、現代文化の融合を図る試みと して企画されたそうです。   ♦ ジャパン・ソサエティー(日本協会) 1907年に創立された非営利民間団体。ニューヨーク州法に基づく公益法人で、日米間の相互理解と友好関係を促進する為、政治、経済、社会、文化、教育などのプログラムを通して自由な日米交流の推進を目的としています。 ジャパン・ソサエティー・ギャラリーは1971年に設立し、主要美術館との共催で日本の伝統美術や現代美術の展覧会を開催しています。 www.japansociety.org ♦ アジア・ソサエティー・ミュージアム アジア・ソサエティーはアジアの理解とアメリカ人とアジアの人々とのコミュニケーシ ョンを促進することを目的にした非営利教育団体で、展覧会、パフォーマンス、メディ ア・プログラム、国際会議、講演会など多岐にわたるプログラムを提供しています。ニ ューヨーク市に本部を置き、ワシントン、ヒューストン、ロスアンジェルス、香港、メ ルボルンに地域センターを、サンフランシスコ、マニラ、上海に代表オフィスを置いています。 NYの建物は最近改装を終えたばかりで、ギャラリーとパブリック・スペース、カフェテ リアを拡張したところです。 www.asiasociety.org   アジア・ソサエティー・カフェテリア ロビーの空間 ロビー奥、カフェテリア前に設置されてるコンピューターで作動出来るインフォーメーションデスク ロビー奥、カフェテリア前に設置されてるコンピューターで作動出来るインフォーメーションデスク 入り口左手にあるアジア・ソサエティー・ミュージアム・ショップの開閉する壁 アジア・ソサエティー・ミュージアムの”The New Way of Tea”展2階会場 Gallery A   9丁目とマデソン街にオープンしたお茶の伊藤園 今回の展覧会のスポンサーにもなったお茶の伊藤園が、アジア・ソサエティーと裏千家NY茶の湯センターの近くに新しくオープンしたお茶の店と懐石風レストラン ”Kai 会”

特別編(3) ワールドトレードセンター跡地の提案・展覧会

特別リポート: 世界の建築家の考えた ワールドトレードセンター跡地の提案・展覧会 (2002/2/20)   ワールドトレードセンター跡地の提案の展覧会が、チェルシーの22丁目、建築専門のギャラリーで有名なMax Protetchで、1月17日から2月16日まで行われています。120人に24”×36”のサイズで、費用は作家持ちで依頼。集まった60近い作品の50点が展示されています。 今までMax Protetchが関わった早々たる建築家が、とても短い期間ではありましたが、様々なコンセプトを提案しています。 建築家には、Michael Graves、Zaha Hadid、Steven Holl、Samuel Mockbee、SITE(James Wines)、坂茂、Tod Williams Billie Tsien、Michael Sorkin、他コンピューターを駆使した3Dから、ラフ・スケッチ、模型とまちまちです。 “結局サイズは無視された”とMr.Max Protetchは言ってはいたものの、ギャラリーいっぱいの多数の作品が集まりました。   各 建 築 家 の 作 品 (作品の写真は Max Protetch 提供) Marwan Al-Sayed Aleander Gorlin Hari Rashid Paul Myoda, and Richard Max Protetch ギャラリー展示風景 Max Protetch ギャラリー展示風景 Max Protetch ギャラリー展示風景 Max Protetch ギャラリー展示風景 Carlos Brillembourg Kaufman 坂茂 右手Zaha Hadid作品 模型Allied Works Architecture 模型Allied Works Architecture 模型Allied Works Architecture 模型Alexander Gorlin Architects

第33回 冬のNYインターナショナル・ギフト・フェアー

第33回: 冬のNYインターナショナル・ギフト・フェアー (2002/2/13) 慣例のニューヨーク・インターナショナル・ギフト・フェアーが、今年は1月19日か ら1月24日まで行われました。初日に雪が少し積もり、道路事情が悪かったので すが、それでも今年はとても暖かなNYの冬で助かりました。9月11日の影響から、セキュリティーの問題など厳しくなり、出品 側もいろいろな規制が出て、出品しにくくなった上、やはり遠くからの顧客が減って、ショーは大きく打撃を受けてしまいました。 それでも主催者側は今年もAccent On Design賞を授与しました。 ベストブース賞は、商品のプレゼンテーションを含めて真っ赤に塗ったカナダのHothouseのブースと、もう一つ、ちょっとわからないのですが、ワイヤーメッシュのプロダクトと環境を考えた商品作りと展示、そしてカリフォルニア・サン・ディエゴのAfton Groveのブースに与えました。ベスト・プロダクトに選ばれたのは、木で出来たロンドンのOliver Hemming社の”Spice Boy” という名のPeppermillと、フェニックス・アリゾナの Off Center社の “Max”暖房器Space heater、それとHonorable MentionsとしてUmbra社 のメラミンのテーブル・トップでした。 Overall Excellenceとして、サンフランシスコのWingard には全体のプレゼンテーションの良さが 評価された賞が、NYのBabette Holland Designは優れたクラフトマンシップの新製品が評価された賞 Innovative Process and Excellence in Craftsmanshipが与えられました。         Best Boothに選ばれたCanadaのHothouse   Best Boothに選ばれたCanadaのHothouse Best Boothに選ばれた カリフォフニア・サンディエゴの Afton Grove社 同左、 ワイヤーメッシュのプロダクトと 環境を考えた商品作りの姿勢に Best Productに選ばれた ロンドンOliver Hemming 社の “Spice Bpy” Best Productに選ばれた フェニックス・アリゾナOff Center社の “Max” Honorable mentionプロダクトに Umbraのメラミンテーブルトップ サンフランシスコのWingard サンフランシスコのWingard は 全体のプレゼンテーションの良さが 評価されてOverall

第32回 Felissimo

第32回: NYのデザインハウスを目指すFelissimo (2002/1/16) Felissimoビル 日本でカタログ販売で成功したFelissimoが、1992年、最初にNYの5番街を少し56丁目に入ったところにビルを購入しました。そのころインテリア・デザイナーで大活躍のClodh(クロダ)を起用して、建物のリニューアル・デザインを依頼しました。 当時、彼女に云わせると、彼女のノウハウで、自分の城を宣伝するように、あらゆるNYのパブリシティーに宣伝したと言っていました。 建設中の現場も時々見せてもらいましたが、彼女のまわりのNYのトップ・デザイナー達が家具から小物までかかわっていて、大変ユニークなデザイン・ハウスとして話題を呼んだオープニングでした。 入口から内部を見る 1階奥の部屋 2階展示会場 メゾニー(中2階)から 2階の展示を見る 3階展示会場左側 3階展示会場右側 3階展示会場奥を見る 4階展示会場奥から見る 3階展示会場左側 5階展示会場右手展示入賞作品 4階展示会場右手展示入賞作品 4階展示会場佐合ひとみ作品     Felissimoは最初から、的を得たNYのリーダーをブレーンに入れて、はじめたのがあたったと思いますが、人が変わるとポリシーが変わるのと、日本とNYとの重心をどこに置くかとか、デザインとアートを一緒にしているところが、良いところでもあり、難しいところでもあると思います。だんだん増えるアグレッシブな意見やブレーンのアイディアに左右される事なく、ユニークな姿勢を保持して、ますますNYの名所になって欲しいものです。 この12月なじみになった買い物客がXマスの買い物に来て、展覧会だけになって、小さくなったshop部門にとまどっていました。書入れ時に沢山のお客さんが、買えないと帰っていきましたが、余裕のビジネスなのでしょうか。 Felissimoビル   11月迄の1階入口付近の作品展示 1階入口付近の作品展示 ─ 川崎和男車いす 1階入口付近の作品展示 1階入口付近の作品展示  

第31回 The MoMA Design Store

第31回: The MoMA Design Store (2001/12/12) MoMA Retailのクリエイティブ・ディレクター Ms. Bonnie Mackay 今回の看板商品 フィリップ・スタルクデザインの腕時計   ニューヨーク近代美術館(MoMA)のMuseumショップ Down Townが、Sohoにオープンしました。WTC事件の前後だったので、特別の大きな催しは開かなかったのですが、ここにきて、11月13日にフィリップ・スタルクをゲストに、そして12月4日はカリム・ラシッドのBook サイン会を兼ねて、Partyをしました。 53丁目のUp Townと違い、このショップはSohoとNOLITA(North Little Italy)の間で、若い人、デジタル系の人達が多く、MoMAブランドでも、これからの若い人向きのDesign Storeとして、インテリアは透明感のある明るいストアーです。53丁目のStoreも手がけている1100 Architectの設計ですが、地下には家具もゆっくりと見られる広いスペースで、新しいMoMA Design Storeの姿勢をうちだしいます。 地下ストアー 1階のストアーでのパーティー風景 1階のストアーでのパーティー風景 1階のストアーでのパーティー風景 1階のストアーでのパーティー風景Photo by 松尾任人 1階のストアーでのパーティー風景Photo by 松尾任人 地下ストアー風景 地下ストアー風景 地下ストアー風景   この81Spring Street は、Sohoのメイン・ストリートからちょっと入ったところで、Broadwayから一本入ったCrosby Streetの角にあります。このクロスビー・ストリートに、今、新しいデザイン系のお店が移りつつあり、Greene Streetにあった、ファイン・ジュエリー・デザイナーのTed Muehling のストアーもCrisbyとHoward Streetのつきあたりにあります。 Down Townの暗くなりがちな今日この頃の空気に、MoMAのSoho出店で,活気を提供してくれる事が期待されます。 後ろに飾ってある商品(Benza)のデザイナー Bridget Means(左端)と Giovanni Pellone(右端) 入ってすぐ左手の所も Xmasデコレーション 1階と地下ストアーを見る 地下のファニチャーショーケース 地下の Book Store エリア 地下のファニチャー・コーナーの 地下のファニチャーショーケース Xmas飾りになったMoMA ストアーウィンドー サインをするカリム・ラシッド カリム・ラシッドの出版本とサイン会の知らせ 地下から1階を見る

第30回 (1)Tokyo Designer Block, Designer WeekとNYのDesigner week イタリア編 (2)イサム・ノグチ庭園美術館

第30回: Tokyo Designers Block, Designer’s WeekとNYのDesigner week イタリア編 (2001/11/14) Zero First 外からの全景 Miguelの飛騨高山、日進のユニット式棚 ウィンドーに飾られたMiguel Calvoの作品とクレジット Miguelのデザイン、飛騨高山の日進製花器で取りはずしの出来る丸いトレイ 代官山のZero Firstにおいて、NYデザイン2001展と、その中の1人、Miguel Calvo(ミグル・カルボ)の展覧会が開催されました。この展覧会は、Miguel Calvoが2ヶ月間岐阜で、飛騨高山の家具や美濃和紙のランプ、土岐の陶器など、地元との共同作業でできた作品群が中心です。岐阜県と飛騨高山をプロデュースする佐戸川氏/Zero Firstの協力で実現しました。NYデザイン2001展は、この夏岐阜で開催した展覧会を東京でも見てもらうため、開催されました。 Miguel Calvoの岐阜制作は、NYからのアーティスト・レジデンス岐阜プロジェクトの一環で、彼で2人目になります。NYからの作家は、1人目がGaston(ガストン)で、彼は5月から6月にかけて岐阜に住み、‘林工芸’との共同作品で、たくさんのランプができています。Miguelは今回、7月、8月と岐阜に住み、椅子・トレイ・花器・ランプ・カップなどのサンプルを短い間に産地と県の協力で発表しました。特に飛騨高山の‘日進’が、家具をサンプル制作まで仕上げ、このTDBでの発表になりました。 一方、New Yorkでは毎年9月末から10月にかけて行われる従来のデザイナーサタデイが、9月11日の惨事の為に延期になり、全体としての大がかりな催しは今年はやらないことになりましたが、11月5日をUptown、11月7日がDowntownと分けて、イタリー系のショールーム8軒ずつが6時から9時までパーティーとともに新商品発表の会を開催しました。 それぞれショールームの入口で、カードにスタンプを捺してくれます。3軒以上のショールームをまわってスタンプを集めて、そこの抽選箱に入れると、ミラノ・サローネご招待が当たるというおまけつきでした。 あくまでもビジネス目的の催しで、有名ブランドの家具ショールームが、広いスペースで商品の家具を展示しているので、日本の若い学生やデザイナー達の盛り上がりとは大分ちがいます。 日本のTDW・TDBのノリは5月のNY ICFFのオフ・サイト以上の盛況で、それぞれのエネルギーの使い様に感心してしまいました。家具もまるでトレンディーなファッション関係のイベントのようで、出展者もビジターもビジネスを全然考えていない様子だったことにも感心しました。   Tokyo Designers Block・Designer’s Weekにて Zero First内部とNYデザイン2001展 Zero First内部とNYデザイン2001展 Zero First内部とNYデザイン2001展 Zero First内部とNYデザイン2001展 Zero Firstの外まであふれるパーティーの参加者 Zero Firstの外まであふれるパーティーの参加者 Zero Firstの外まであふれるパーティーの参加者 ミゲル・カルボ Miguel Calvo Miguelのデザイン、飛騨高山の日進製の積み重ね式トレイ Miguelのデザイン飛騨高山の日進製椅子 Miguel Calvoの作品 Miguel Calvoの作品   NYのDesigner weekにて Palazzetti ショールームUp townの A & Dビルディング内(58丁目Lex & 3rd) Terzani at Lee’s

第29回 「DIFFA」のParty 「ACM(American Craft Museum)」のギャラパーティー

第29回:「DIFFA」のParty (2001/10/10) Conran Shop NYC 9月11日の大惨事以降あらゆる催しがキャンセルになりました。2週間後の9月25日、デザイン業界では最初のパーティーが開かれました。59丁目の橋の下を利用して開発されたBridgemarketに一昨年オ-プンしたコンランショップは、アッパーイーストサイドの新しい名所です。ELLE DECO誌、シャンペンのTAITTINGER等の協賛で、コンランショップの売り上げから、AIDSの為の非営利団体DIFAに寄付をするというパーティーでした。皆、事件の話題でもちきりでしたが、1・2階のコンランショップ全体をパーティ会場に買い物をしながら、久しぶりに皆で集まる楽しいひとときをもてたようでした。 Conran Shop NYC Conran Shop NYC 1階のキャッシャー 橋の下を利用して出来た 1階会場の様子 1階会場の様子 1階会場の様子 1階会場の様子 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景 2階会場パーティー風景   「ACM(American Craft Museum)」のギャラパーティー 2001年ACMアワード受賞式風景 2001年ACMアワード受賞式風景 ACM(American Craft Museum)の2001年VISIONARIES(工芸に貢献した人を表彰するギャラパーティー <基金募集パーティー>)は、10月2日に行われました。 しかし、時期が時期だけに、HOTELでの開催をとりやめ、MUSEUMで行われました。今回、その一部をNew York Timesを通し、9月11日募金に寄付することとなりました。 この機転の企画を取り入れた結果、New York Timesの取材、NY州知事夫人 Libby Patakiのスピーチも行われることとなり、思わぬ盛大な会になりました。   パーティーは、皆の黙とうではじまりました。 そして、それぞれの事件とに関わる話しなどがあり、それぞれ重鎮な方達なので、毎日御葬式に出席しているとの事でした。 NY州知事夫人Libby Patakiも「知事もほんの時間を作っては、家で食事をして、又任務をこなしています。ですから、少しでも時間を合わせて、主婦をしなければと思います。 皆様との時間を過ごしたいのですが、このスピーチの後直ぐ帰る事をお許し下さい。」と結んでいました。   NY州知事夫人 Libby Pataki NYTIMESの方からの9.11基金の説明と、今回のお礼の言葉から式典がはじまりました 右・ACMのチーフ・キューレーターDavid McFadden 中央・ACMのアシスタント・キューレーターSusan Barry 右・ACMディレクターHolly Hotchner 右・今回のACMの展覧会のキューレーターPaul Smith   左・Bertil Vallien 右・William MorrisとPaul Smith

特別編(2) WTCビル崩壊に寄せて

特別編: WTCビル崩壊に寄せて (2001/10/03) 事件の16日前、8月26日撮影 Green StreetとGrand Street。爆音を聞き、直ぐ横の道から写した。(9:20頃) West BroadwayとCanal Street(9:30頃) WTC(世界貿易センター)ビルは個人的にとても深い意味のある建物です。今回は、事件に対して個人的な角度からまとめてみました。 毎年、我が家の年賀状は、NYのスカイスクレーパーをバックに写して30年続いています。8月26日はとても良いお天気でした。この日はめずらしく、(観光でもないのに)最近発展してきているというニュージャージーサイドまで、フェリーで見に行きました。今年の年賀状の景色はこれにしようと決めた船上で写した写真が、WTCビル崩壊から16日前の、最後の写真になってしまいました。 WTCビルには、他にも縁があります。 WTCビルが、日系人ミノル・ヤマザキ氏によって設計されたことは有名です。実は、1964年、最初に渡米した時、伯父の家で、彼が子供の時の写真を見せてもらいました。 私の母方の親戚は、1887年にアメリカに渡り、その後、シアトルで最初の日系人教会をサクラメントに建てました。伯父は、写真を見せ、その教会の前に並ぶ10才前後の生徒達の中に写った、ミノル・ヤマザキ、ジョージ・ナカジマ等を自慢気に教えてくれました。 この年は、ちょうどミノル・ヤマザキがWTCビルのコンペで、この仕事を取った年でしたので、伯父が誇りに思い、私に教えてくれたのでした。 毎日の報道では、映画のシーンを見ているようで、実感がないと思います。ですが、私の仕事場でもある住居は、WTCビルから15ブロック、約1km先の場所にあります。WTCビルの2度目の爆音を身体で感じ、大きな交通事故でも起きたのかと思い、外を見て、TVの画面を見たところ、WTCビルに炎があがったところでした。 実際に私の友人は、11日の朝早く、WTC第1ビル45階で1人で勤務についていました。爆音の後、誘導され、皆と45階から逃げ降りたそうです。階下のスプリンクラーでびしょぬれになり、外に出てWTCビルの火事と破片の散乱状況から大事を知ったそうです。そして、逃げろ逃げろの声と、後ろからの爆風と白煙から夢中で逃げ延び、私共の所へ助けを求めてきました。TVの実況と涙ながらの彼女の恐怖の体験談を聞き、もしも避難があと5分遅かったら、と彼女の無事を喜びました。ですが、階段をどんどん上がっていく消防団員やレスキュー隊員と大勢すれ違った、と涙ぐむ彼女に、会社の上司との連絡、領事館への連絡など、やらなければならない事も次々に頭に浮かび、彼女と一緒にオロオロと慌ててしまうばかりでした。 1歩出たGreene Streetから毎日見えていたWTCビルが、消えてしまいました。全く信じられない出来事が起きてしまいました。 Green Street とCanal Streetから9:25頃 左写真と同じ場所で夕方 WTC第7タワーがまだ燃えている9月16日 運び出された車 消防士 警備員 9月14日のキャンドル・サ-ビス 9月14日のキャンドル・サ-ビス 9月14日のキャンドル・サ-ビス   事件直後、Canal Street以下は立ち入り禁止地域で、入ることが出来きませんでした。 しかし、1週間目の月曜から職場の証明をみせて入れるようになり、グランド・ゼロの近くまで、行くチャンスがありました。 行く途中には、まだ道に置き去りのままの車の残骸などがありました。TVで見た光景と同じ現場を現実に目にすると、やはり身につまされました。しかし、現場はTVで見たよりもさらにひどいものでした。とても高い10階ほどもあるツインタワーの鉄枠や、まだ5階分位は残っているのではないかと思われる、崩れた建物のコンクリートや鉄くずの中で働く人たちが小さく見えました。大きな鋼鉄をひとつつずつ切り、運ぶ作業が行われていました。建設用のトラクターや器械類は、建設の為に出来ているので、壊す道具としては向いてないようでした。   消防署の前の学生寮に張り出された、消防士へのお見舞いと感謝の手紙 また、デリケートな作業なので、皆神経をつかいながらの24時間作業をしていました。街にはアメリカン・フラッグがあふれていました。アメリカン・フラッグは、この大惨事にまけまいとする活力のささえになっています。しかし、その反面、私達はこの大惨事に負けまいと、アメリカン・フラッグにすがっている様な気もします。 消防署の前におかれた沢山の花とCandle 様々なアメリカ国旗が>ウインドウに飾られる 様々なアメリカ国旗が>ウインドウに飾られる 星条旗を飾るウィンドウ-SOHO ベルヴュー・ホスピタルの壁一面に貼られた行方不明の方達の写真 ベルヴュー・ホスピタルの壁一面に貼られた行方不明の方達の写真 グランド・ゼロの瓦礫の山 グランド・ゼロにて1本ずつ鋼鉄くずを運ぶ 今、3週間がたち、いろいろな現実問題も出てきています。団結して立ち上がった、この活力を平和のエネルギーへとつなげてほしいと祈るばかりです。 __ 海老原嘉子

第28回 Visionaire

第28回:  Visionaire(2001/9/12) Visionaireは、形式に拘束されない雑誌というよりヴィジュアルな“アルバム”です。 Visionaireに広告は一切ありません。徹底的にヴィジュアルの美しさにこだわり、その編集方針からコンセプトに至るまで、“雑誌”という枠を越えた“アルバム”になっています。 1991年春の創刊以来、世界中の有名無名ファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティスト等とコラボレートし、年3、4回出版されています。毎回限定発売される各号には手書きのシリアルナンバーが付けられ、コレクターズアイテムにもなっています。 創刊時、Visionaire発行部数は1000部のみでしたが、現在は3000部発行されています。それでも、手に入りにくい雑誌には変わりなく、バックナンバーには定価($175)の何倍ものプレミア価格がついています。 * Photo by Inez van Lamsweerde, Vinoodh Matadin Visionaire 36 資生堂のCover, Bjork Visionaire 36「Power」の箱 Visionaire 36「Power」の箱 Visionaire 36「Power」のCover(本) Visionaire社 入り口に並ぶ新刊 入ってすぐのギャラリー・スペース Visionaire社ウィンドウ   ステファン・ガンVisionaire編集長 創設者はステファン・ガン。彼はVisionaireの編集長でもあります。 彼は“ディテールズ”の編集者でした。しかし、同誌が買収されたことで、退社。そして、理想の編集を目指し、Visionaire創刊に踏み切りました。 彼と彼の同士数人で切り盛りしている編集部は、彼と同じ美の理想を持った人々で形成されています。彼らのライフスタイルは、様々なメディアに取り上げられています。   Visionaire35 Manのcover Photo: Mario Testino Visionaire35 Sarah Lucasの作品 Visionaire34 Box Visionaire34 Box Visionaire34 Stephen Hendeeの作品 Andreas Angelidakisの作品 Visionaire33 Fendiフェンディ編「Touch」のケース Visionaire24 Gucci編   Visionaire28 「Bible」のケース、フィリップ・スタルクデザイン Visionaire28 「Bible」のケース、オープン Visionaireは、これまで、ルイ・ヴィトン(Visionaire18 FASHION)、コム・デ・ギャルソン(Visionaire20 THE COMME DES GARCONS)、ヘルムート・ラングとトッド・オールドハム等(Visionaire14 HYPE!)などの様々なファッション・ブランドとコラボレートしてきました。 Visionaire24 LIGHTではトム・フォードをゲスト・エディターに迎えました。また、アート関係では、Visionaire16 THE