お知らせ: 「折り紙建築」展

Origamic Architecture – Exhibition Opens at American Craft Museum: — International Artist Take Ancient Japanese Art of Paper-Folding into New Realms 2001年5月18日から9月3日まで、アメリカン・クラフト美術館において『折り紙建築』展が開催されています。 茶谷正洋氏の作品をはじめ、仲間の中沢圭子氏、木原隆明の作品と、彼の影響を受けた世界の作家達の作品が100点以上展示されています。 今回の展覧会は、アメリカン・クラフト美術館の依頼を受け、日本人で初めてゲスト・キューレーターとして海老原嘉子が企画して行われます。この『折り紙建築』は、1983年にはじめてSoHoのGallery 91で展覧会が行われて以来、愛好家が増え、今では世界中に広がりつつあります。 『折り紙建築』展が、これだけ大きな形で、アメリカの美術館で行われるのも初めてです。 展示作品は、美術館で同時開催のフランク・ロイド・ライト展にあわせ、ライトの建築群、滝の家、彼のスタジオ・ハウス、グッゲンハイム美術館とロビン邸、その他の建築としては、ノ-トルダム寺院、エッフェル塔、シドニーオペラ・ハウス、ピサの斜塔、上海ファイナンシャル・センター、NYのクライスラービル等、そして花、動物、幾何模様、身の回りのオブジェなど、多角的、画期的なものです。またこの展覧会の為に、ユニークな展示デザインを、国際的に活躍するECCOデザインのEric Chan氏が担当しています。また、来館者の皆さんが閉じたり開いたり出来る作品が特別に展示され、体験型展示になっているのも特徴です。 『折り紙建築』は建築デザイン自体の美しさをより身近に、昔からの折り紙の手法で、1枚の紙から、切ったり、折ったりしてつくる、美しいフォルムとして世界中に広がり、今日では多くの愛好家がインターネットを通じて、それぞれの個人的なホームページを開設し、作品を紹介するなどしています。 今回の展覧会では、創案者である茶谷氏の作品を紹介し、『折り紙建築』のコンセプトを再認識する良い機会にもなると思います。 東京工業大学の名誉教授である茶谷氏は、彼のデザインパートナーである中沢圭子氏、木原隆明氏と共に50冊以上の本を出版しており、今回19日、20日にはMuseumに於いて、ワークショップが、行なわれ、参加者は作る行程を学ぶことができます。会期中『折り紙建築』にちなんだ、様々な催しも行われる予定です。 スケジュールに関してはMuseumまでお問い合わせ下さい。   展覧会概要 ■会期:2001年5月18日~9月3日 ■会場:アメリカンクラフト美術館(The American Craft Museum) 40 West 53rd Street(between 5th and 6th Avenues) MAD (Museum of Arts and Design) was founded in 1956 by Aileen Osborn Webb as the Museum of Contemporary Crafts and later became

第126回 NYの新名所・High Line「高架線道路公園」オープン

実現するのか、夢の話なのか。ずっと追い続けてきたHigh Lineが6月10日に一般公開になり、オープン最初の日曜日である6月14日に行ってきました。 ミートパッキングエリアは混雑しており、最初の入り口のあるGansevoort通りには長い行列が出来ていましたが、案外スムースに進んでいるので見てみると、係の人が次々に腕輪の紙テープを渡し、これを付けた人は上って良いと言う事でした。数の統計にもなっていたようです。階段を上がって、出来上がった高架線上の公園から見るニューヨークの風景は、今まで知ってるものとはまた違った目線で、とても新鮮な景色でした。 High Lineの残された線路の間を上手に使って植えられた緑もとても自然で、実用的でこそありませんが、Friend of High Line(FHL)グループの自然体のアイディアが生き、素敵な都会のオアシスになっています。   私も2004年のコンペの発表会を見に行ったり、2006年の鍬入れ式に参加したり、待ちに待っていたので、とてもわくわくしながら地上30Feet(9.14m)の新しい公園散歩道を歩いていたところ、High LineオープンのニュースでTVインタヴューされていたFriend of High LineのJoshuaが、混雑の中、ニコニコしながら歩いて見てまわっているのに出くわし、思わず、おめでとうと握手をしてしまいました。 この一般公開では、22Blockが最初の区間として公開され、通常朝7時から10時までオープンしています。階段はGansevoort通り、W16th, W18th. W20th ストリートにあり、そのうち14と16通りのはエレベーターでも上がれるようになっています。 http://thehighline.org/ ダウンタウンの最初の入り口の階段を上がると、まず新しいスタンダード・ホテルに目を奪われます。この建物の中を通り抜けると、すぐの東側に14丁目のミートパッキング・エリアのメイン・ストリートを見渡すことが出来ます。いつも現代アートやデザインのオークションをしているオークション・ハウス、PHILLIPS de Puryの4階のGalleryも目の前に見えます。 反対側のハドソン・リバーでは、別の日の夕方出かけた際に、夕焼けを撮る事が出来ました。 建築家チームのディラー・スコフィディオ+レンフロ(Diller Scofidio+Renfro)がコンペを勝ちとり、このHigh Lineのデザインを担当。10年かかったプロジェクトで、オープン最初の週には70,000人の来場(またはビジター)を記録したそうです。2010年には20ストリートから30ストリートが続いてオープンを予定しています。今後もより一層すばらしい公共施設、緑の公園をめざし、次の30年で個人の寄付を$4ミリオン、投資家、CITYからは$900ミリオンを予定しており、プロジェクトは続きます。 線路を活かしたディテールがあちこち伺えるデザインは、水回りが考えられていたり、木の大きなベンチを線路の上で動かす事ができたり、また10番街の真上では正面から劇場のように道路を見下ろせる一角があったりして、作ったものを見せるのではなく、自然の都会の生活をゆっくり休んで見るのも良いのでは? と言われているように感じました。     High Lineの近辺には、著名建築家のビルやコンドミニアムなどが続々と建築中ですが、まず目に入るのは、18丁目のウエスト側の話題のフランク・ゲリー(Frank Gehry)のIAC(Inter Active Corp)のビル、そして、その隣りには建設中のジョン・ヌベル(Jean Nouvel)のNouvel Chelseaが見えます。2012年オープン予定とされるレンゾ・ピアノ(Renzo Piano)のWhitney Museumダウンタウンも今から話題になっています。 大手投資不動産会社のコンドミニアムも建築ラッシュで、この近辺が、今ニューヨークで最もホットな場所のようです。 東側にはエンパイヤーステート・ビルディングも見え、現在はここまで20丁目の出口が出来ています。 High Lineのオープンと時を同じくして話題になっている、スタンダード・ホテル。 High Lineにまたがって突然現れたようなこのスタンダード・ホテル、そのホテルからのHigh Lineの眺めも是非みたいと、中を見学させてもらいました。 まだ全館オープンではありませんが、ミートパッキング・エリアのイベントの要望に合わせて、建設中のまま、昨年12月に一部がオープン。話題を呼ぶきっかけとなったのが、春のファッション・ウイークや、ICFF国際家具ショーのオフ・サイト・イベント、そして、このHigh Lineのオープニングです。 開発業者のAndré Balazsがオーナーで、ハリウッドとロス、そしてマイアミにも同じ名前のホテルを持っており、若いセレブに今、人気のホテルとのこと。 4つ目の、ニューヨーク初進出であるスタンダード・ホテルは、建築をTodd Schliemann of Polshek Partnershipが、デザインをニューヨークのインテリア・デザイナーRoman and Williamsが担当。入り口、ロビーを通り、エレベーターの中にはVideoの動画が映し出されており、上り下りのエンターテインメントを見せてくれます。今現在は12階までということで、その角部屋の東側と西側のスウイートの部屋を見せてもらいました。どの部屋も天井から床までガラスで、カーテンを閉めないと宙に浮いているようです。寝ぼけてべッドから落ちたら、都会の真ん中かハドソンリバーの中にいるのでは、と夢に見そうな、怖いくらい素晴らしい眺めです。 バスルームもトイレも同じ状況で、周りに何もないので、解放感を独占できますが、私はカーテンを引くのをお薦めしたいです。 各ドアに部屋のナンバーが大きくデザインされていて、まだ見ることが出来なかったトップ・フロアの18階にはダイニング、パーティー・ルーム、スパなど素晴らしい眺めの豪華な施設が出来る予定との事。一階のグリルが最近オープンし、人気のようです。337ルームのこのホテル、目下建築続行のままなので、割安との事。 最新のニューヨークを体験するにはもってこいかもしれません。 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影

第89回 現代建築家ザハ・ハディド30年の業績

現代建築家ザハ・ハディド30年の業績 NYのグッゲンハイム美術館で、革新的な現代建築家「ザハ・ハディドの30年の仕事」の展覧会が10月25日まで開催されています。これまでニューヨーカーが見る事のできなかった作品を見るチャンスが出来ました。 ザハ・ハディドの建築は、NYに一度も建てられたことがないため、長い間「ペーパー・アーキテクト」と言われていました。しかし、この10年で建築中の作品、世界中に広がる彼女のパワーのすべて、巨大絵画から模型、実物の写真、車、家具、テーブルウェアーまで見せる迫力のある展覧会で、夏休み中の観光客などで美術館は満員で、大変賑わっています。 ザハ・ハディドは1950年にバグダッドで生まれ、当時国づくりに必要な人材教育を受けた一人と言われています。バグダッドで最初にバウハウスのデザインを取り入れた邸宅で育ちました。その後、政変の為、スイス、レバノンの学校に移り、のちロンドンで教育を受けた他、ニューヨーク、モスクワ、ベイルート、ベルリンと多様な都市に住みました。それらの都市での生活で世界的な価値感を吸収していきました。現在はロンドンに事務所を構えて世界を飛び回っています。 ザハ・ハディド自身による、グッゲンハイムの円形建築の形を器用に生かした展示 展覧会は、1976年の絵画「再解釈」、ザハ・ハディドの大学院の卒業論文にまで遡って展示されています(サンフランシスコ現代美術館では、ザハ・ハディドがオリジナルを貸すのを断ったというエピソード付き)。 重複する幾何学上フォームがスペースを通って浮かぶ断片化している都市を提案するという彼女の抽象建築絵画。鳥瞰図を作成するために、彼女は何百もの抽象的な建築をインクのスケッチから、始めました。 次に、それらをキャンバスに取り付けられた紙に移し、抽象的な建物を、それぞれの表面は異なった色で塗り、表現しています。ザハ・ハディドの革新的な思想は建築図面を使わずに、建築を環境の一部としてとらえ、空から地上を眺める鳥瞰図で描く抽象建築絵画、その手法は周りの環境を同時に見せる効果を表現し、これはソビエトのコンスタンチン・マレーヴィチ(Konstantin Malevich)の“Tektonics”の影響を受けているそうです。 現在のコンピューターを駆使したイメージドローイングでは即座になされそうな、失われつつある、手のかかる手法の幾何学的な形態を描く、彼女のエネルギーのかたまりのような作品群が時代を追って展示されています。 また、彼女の展覧会の構成でグッゲンハイムの円形建築の形を器用に生かし、傾斜路の流動の、リズムをとりいれた起伏のある展示が、疲れる事なく、それでいて刺激のある展覧会にしています。 女性で初めてプリッカー賞を授章 1983年、香港のカントリークラブPeak:ピークのための設計で、彼女は若くしてスターの座を得たプロジェクトに遭遇します。次の「世界(89度)」の作品では、私たちが現在、当然のことと思う、電子時代の革命の開発であるネットワークを顕著に予期させます、各建物がより大きい都市視野の片として想像される流れを都市としての表現しているドローイングです。 ザハ・ハディドの建築を最初に実現に踏み切ったプロジェクトは、1990年から94年までの4年間を費やした、ドイツのVitraの消防署(Vitra Fire Station)です。この頃からコンピューターによるレンダリングが取り入れられています。このプロジェクトを皮切りに、アメリカではオハイオ州のシンシナティ現代美術館が1997年に、その後、ドイツのPhaeno Science Centerが1999-2005、そしてBMWの Plant Central Buildingが、ドイツのLeipzigに2001-05と、今や建設中のプロジェクトは世界中で行われています。 最新では国際コンペで選ばれた、ドバイ(アラブ諸国)の「ビジネス・ベイ・タワー」があります。 2004年には偉才の建築家に与えられるプリッカー賞(PritzkerArchitecture Prize)を、女性で初めて受賞しました。 ザハ・ハディドの建築が欧米とアラブの架け橋となる グッゲンハイムの円形建築の上段に達するまでに、彼女の建築マジックのすべて、絵画、スケッチ、建築デッサン、都市計画、モデル、家具および設計目的など年代順に展覧会はのぼりつめ、ザハ・ハディドの世界に到達します。 彼女の目的は興味を設計によって発生させ、社会的な、文化的な相互作用を促進することだそうで、彼女の建築が欧米とアラブの架け橋になり、平和の日が来る事を祈るばかりです。 実現しそうもなかった、ソファー、ベンチ、台所、車まで、サイエンス映画の一場面のような作品を実物にさせたZaha、80年代から、時々NYのパーティー・シーンで、オーラを感じさせながら、闊歩し、笑顔で挨拶してくれた彼女を思い、ザハ・ハディドの30年を堪能しました。 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影

第73回 世界で初めての、コンテナーを使ったNomadicMuseum(移動美術館)

世界で初めての、コンテナーを使ったNomadicMuseum(移動美術館) 3月5日、坂茂氏が設計した画期的なNomadicMuseum(移動美術館)が、Cityの特別の許可のもとオープンしました。チェルシーのHudson River Park Pier54(13丁目)にて6月6日まで開催されています。 45,000 Square footの船着き場に、万国共通のスティールのコンテナー(運搬用梱包箱)をチェッカーボードのように148個積み重ねてできた囲いがMuseumの外壁です。 中の柱は、坂茂氏が設計でよく使用する、防水のボール紙の紙筒です。その75cmの円柱が整然と立ち並んでおり、厳かなこの展覧会にふさわしい雰囲気を醸し出していました。 人と自然を相手に13年間記録し続けた映像 展覧会は「Ashes and Snow(灰と雪)」というタイトルの、Gregory Colbertという写真家の写真展です。彼が13年かけて、エギプト、ビルマ、スリランカ、ケニヤ、エチオピア、トンガ、アゾレス諸島、南極大陸等で、象、クジラ、イーグル、レオパート、ゼブラ、チータなどの動物、人と自然を相手に記録し続けた映像から特別な手法で和紙にプリントした作品です。 コロムとコロムに間に4方からピアノ線でつられ、一番奥にはこの記録映画を1時間に編集した映像が繰り返し流れています。野生の象や鯨と泳ぎ踊る人間(一部はGregory自身)、豹やイーグルと戯れる現地の子供・・・。編集担当は2度のアカデミー受賞者、Pietro Scalia氏です。 この詩のような映像は、9・11以降のニューヨーカーの心を癒してくれるに違いありません。セントラルパークで行われたクリストのゲイトが終わり、タイムリーにこの新しいMUSEUMが出現し、スペースそのものが話題になってNYは常にエキサイトしています。 12月にはロスアンジェルスで開催 建築家 坂茂氏のこのMuseumの発想は素晴らしく、この展覧会後、これらのコンテナーは倉庫に返却し、次は12月ロスアンジェルスにて、現地のコンテナーを使ってMUSEUMが造られるそうです。 ファッション写真とも見える、やさしい詩のようなこの写真のGregory Colbertよりも建築の方が絶賛されています。しかし、クリストの自前のアース・アートといい、写真家Colbertの、坂茂氏を選び自分の力でここまで発表して見せるその姿に、これからのアーティストの姿勢が変わっていくような予感を感じました。 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影

第66回 スタテン・アイランドの記念碑の国際コンペ

スタテン・アイランドの記念碑の国際コンペ これは3年前に起きた9月11日の同時多発テロのスタテン・アイランドの犠牲者を悼む記念碑の国際コンペで、世界19か国から179のエントリーがありました。その中から日本の曽野正之氏が単独で手掛けた「ポストカード」が選ばれました。この作品は、葉書を267倍に拡大した「世界一大きなツイン・ポストカード」に、切手とみたてた267人の被害者の名前と横顔を記念碑に刻んだ作品です。 記念碑は2004年9月11日のオープニングセレモニーを目指し、総工費200万ドルをかけてマンハッタン島を臨む公園に設置され、9月11日の6時からメモリアル式典が行われました。式典にはジュリアーニ前市長、ブルンバーグ市長、James P. Molinaro: Staten Island Borough Presidentが出席し、各氏のスピーチに加え曽野氏のスピーチが行われました。続いて、犠牲者の遺族らが2つの記念碑の間を通り、花や祈りを捧げていきます。遺族はそれぞれ故人の顔を探し「似ている」「面影がわかる」などと親しみのある記念碑に好感を持ち、これまでのメモリアルとは違った記念碑に大変喜んでいるようでした。 曽野氏が一番神経を使い、時間がかかったという、正面の写真から起こした犠牲者の横顔は、遺族ひとりひとりとやりとりをしたもので、納得するまでの行き届いた仕事が報われたように思いました。 曽野正之氏のご紹介・記念碑制作経過 曽野正之氏は1970年、西宮市生まれの33歳。建築家。コンピューターによる、リアリティーを感じさせる表現の繊細なディテールは、右に出るものがいない、と皆が認めています。このコンペでは犠牲者と遺族、友人や私達を繋ぐシンボルとして「ポストカード」を発想し、心に空いた穴をなんとか繋ぎ止めることを考えたそうです。ハガキを様々な形にして模型を作り、それを267倍に拡大した世界一大きなツイン・ポストカードを作り、これを「送りたい・受け取りたい」というのがコンセプトだそうです。また、曽野氏は、世界共通のポジティブなコミュニケーションのシンボルである手紙は、今回の主旨にピッタリだと思ったといいます。267人の被害者の個々の名前と横顔が、記念碑の内側の石に刻まれています。 彼はこのプロジェクトのために会社を休職し、2003年11月あたりから基礎工事を始めました。それに先立って施工図面を引き、モックアップ(模型)を作り、予算や強度などから、素材は最初に予定していたコンクリートに変えて Fiber Reinforced Plastic(ファイバーレインフォーストプラスティック)FBPを使用する事になりました。このFBPは、Eグラスファイバーを含んでおり、一般的にボートを製作する塩水に強いとして知られる素材なのだそうです。 被害者の名前と横顔を建物の内側の石に刻む 彼の思い描く、267人の犠牲者の名前と横顔の入ったメモリアルを実現させるために、一人につき4~5枚の写真を用意してもらったところ、横顔の写真がない人が多かったため、曽野氏とアーティストのチーム(Lapshan Fong,岡 利彦氏 その他数人)が正面や斜め前の写真から横顔を起こしていきました。最終的に一人一人の親族から「OK」をもらうまでのやり取りに、予想以上に時間がかかったそうです。 今回のメモリアルで初めて、記念碑に刻まれた故人の横顔に花を捧げた遺族らは、「空に飛び立っていくような形で、とても心休まる素敵なモニュメントだ」と、皆が褒めていました。また、夕日のオレンジから暗くなる中で、2つのポストカードの間に見えるマンハッタンのWTC後のビューが、青く変わっていくシーンのセレモニーは、大変感動的でした。 世界から注目される曽野氏の努力の結晶 彼は今回の記念碑について、 「建築のスケールと技術が必要で、建築の一部ではありますが、建築ではない特別なモニュメントです。そのカテゴリーのないところが、たまたま自分のデザインの傾向とご遺族の求めていたものとに合致した形です。 昔から絵を描いたり展覧会をやったりしていましたから、自分としては正直、建築よりも今回の方がやっていてピッタリきました。僕が心配なのは、建築界から建築家として認められず、アートの分野からはアーティストとして認められない、どっちつかずの立場になってしまわないかということです。そうならないようにして、建築をコツコツ続けていけるのならそれでいいです。」という。 曽野氏の友人達は彼を「Masa、Masa」と呼んでいます。彼は大変な努力家で、いつも自分が一番汗をかく仕事を引き受ける、作品を含め、Ego(我の強いとこ)がなく、自然体で綺麗で無駄のない流水のような形を作る人、それでいてきちんとファンクショナル、ピュアでポジティブな仕事をする人、と絶賛されています。 この「ポストカード」プロジェクトで脚光を浴びた曽野氏。彼の今までの努力の結晶が世界から注目される作品のモニュメントになりました。曽野氏には国際的な日本人として、これからの複雑な世の中に、より心のなごむ良い作品をどんどん発表してほしいと思いました。 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影

第64回 チェルシ-の高架線の歴史、改築案

NYの鉄道のはしり High Line 7月16日、ニューヨーク市マンハッタンにある高架線路“High Line”の利用法を提案するコンペのファイナリスト4組(ディラー・スコフィディオ+レンフロらのチーム、スティーブン・ホール、HNTBらのチーム、ザハ・ハディドらのチーム、テラグラム・チーム)による説明会が、Center for Architectureにて行われました。 公的資金によって建設されたHigh Lineは1980年以降利用されておらず、公共の場所として新しく蘇らせるためにこのコンペが開催されました。 → Friends of the High Line 私はチェルシーに訪れる度、この古い高架線がなんとか使えないものかといつも見上げていたので、今回のプロジェクトにとても興味を持ち出かけました。ここで、High Lineの歴史をひもといてみたいと思います。 1847年に初めてNY市内への貨物列車のレールが引かれ、1851年から1929年にかけて市内への運搬に利用されていましたが、この貨物列車と荷馬車の衝突事故等が多発し、10番街周辺は「Dead Avenue(死の交差路)」と呼ばれるほどの事故率がありました。 この事故多発は1929年になってようやく取り上げられ、NY市、NY州、中央路線局の合意で予算をとり、35丁目からSpring Streetまでを高架線にするプロジェクト案がとられ、全長1.5マイルの貨物車を走らせるHigh Line(高架鉄道)の建設が始まりました。このHigh Lineは1934年に完成し、貨物列車は現在のジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンター辺りからチェルシーのギャラリー辺りを通過し、Gansevoortストリートのミートマーケット辺りまで、一般通路に妨げられずに直接倉庫まで荷を運びこめるレールとして活躍しました。しかし、1980年に冷凍ターキーを運んだのを最後に、貨物列車は使われなくなりました。 改築案コンペに36か国から720件の応募 このHigh LineのオーナーはCSX(交通安全局)で、その鉄道下の土地はNY州、NY市そして20以上の個人がオーナーとなっています。1999年にNY市民、経営者、市民団体、アーティスト、ギャラリー・オーナーや園芸家等がHigh Lineの再利用を実現するためにFriend of High Line(FHL)を結成しました。このHigh LineはNYのウェストサイドの工業の歴史です。また、高い場所にあるのでハドソン川とNYのスカイラインを一望できるため、ここに斬新な公共の場を提供できるのではないか、とFHLの活動が始まりました。 High Lineは各国の最良の公園同様、また、それ以上に新しくオリジナルな公共の場となり、街の緑化、新たな交通手段としての利用、ポスト近代工業環境で常に変化するニーズに社交的、経済的にも対応できるものとして、廃墟交通機関の再利用のグローバルな見本になるはずというのが、FHLの主旨です。 路上からのアクセスが最終地点の両サイドからとその中間の各地点により、階段やエレベーターでのアクセスが可能なシステムをつくり、日々使われる公共の場の為に安全性とセキュリティーが最も重視されるデザインが求められる事になりました。そこで、2003年1月から7月にかけてアイディア・コンペを開催したところ、36カ国より、720件もの応募が集まりました。この間にも市へのアプローチは続けられ、2003年7月、NY市の1575万ドルの基金で、このプロジェクトのGOサインが出されました。 最終案はフィールド・オペレーションズとディラー、スコフィディオ&レンフロのチームに決定 もともと「High Lineをデザインする」のは、現実的、または建設可能なものである必要はなく、応募者にはHigh Lineそのものから予測できない視点を得るため、前向きで力強い考えが求められました。結果、応募数720点の中から7つのアイディアが受賞しました。 FHLは、これらのプロポーザルがHigh Lineの再利用への道をより確実なものとして広まることを期待して、2004年3月、NY市と一緒になることで現実化されるデザインの制作を期待するマスタープランを立てました。 大規模な選択プロセスを通してデザインチーム4組が選出され、7月16日、ウエストヴィレッジのCenter for Architectureにて、発表会と展示会が行われました。この説明会は最近の建築関係者の講演とはひと味違った視聴者が集まり、会場は満員でした。展覧会はビデオインタビューを含め、7月16日から8月14日まで行われました。選抜された4組のデザインは、説明会、展覧会場に用意された一般投票用紙によって公平な意見を取り入れます。また、このほど最終案が発表され、フィールド・オペレーションズとディラー、スコフィディオ&レンフロのチームに決定しました。 → http://www.fieldoperations.net/ → http://www.archinect.com/ 9月にはこのマスタープランの実現に向けて、作業が開始される予定です。 ■ 最終選考に残った4組の改築案 ▼ フィールド・オペレーション社、ディラー・スコフィディオ+レンフロとオラファ・エリアソンらのチームによる作品 【最終案 決定作品】 ▼ スティーブン・ホール、ハーグリーブス・アソシエート、HNTBなどのチームによる作品 ▼ ザハ・ハディドとバルモリ・アソシエイツ、スキドモア、オウィング&メリル・ループとスタジオ、MDAなどのチームによる作品 ▼ マイケル・バン・バーケンバーグ・アソシエート、D.I.R.Tスタジオとベイヤー・ブラインダー・ベルなどのテラグラム・チームによる作品 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影

第58回 Japan Societyでのシンポジウム / Louis Vuitton展 / スタルクの新作時計

第58回:  Japan Societyでのシンポジウム (2004/3/10)   槇文彦氏 Fumihiko Maki (槇文彦氏作品) Fumihiko Maki (槇文彦氏作品) 「現代日本建築における技術と伝統」をテーマに大反響の3日間 ジャパン・ソサエティーで「現代日本建築における技術と伝統」というシンポジウムが2月26日、27日、28日の3日間に渡り開催され、大変な反響でした。 切符は早くに売り切れて、初日の槇文彦氏の講演は満員の為、別部屋にエキストラモニターを設置しての聴講となるほどの人気でした。 リチャード・マイヤー、Jack Larsen、NY Timesなど、著名建築家から建築記者まで毎日数多くの関係者が聴講していました。 主催はジャパン・ソサエティーでしたが、Architecture Record誌との共催だったこともあり、NYの建築、デザイン関係者がこんなに集まったのは、初めてなのではないでしょうか。 それに加えて、アカデミー賞にノミネートされたLost in TranslationやLast Samuraiブームも影響して、日本を本質的に知りたい知識人が増えていることも、この日本建築人気の一つのように思います。 また、海外での学生生活の後、帰国して日本で活躍している若手デザイナーや、日本で生活している日本語ぺらぺら外国人デザイナーなどが紹介する日本は、今までに見えなかった日本が見えるようになってきているようにも思え、本当にグローバルになってきているような気がして、大変興味深いシンポジウムでした。 夕方6時から始まった初日は、Architecture Record誌のロバート・アイビー氏が、Pritzker賞受賞の建築家であり、国連Headquarterを手掛ける槇文彦氏を紹介。講演では、今までの数々の素晴らしい作品のスライドが次から次ぎへと映され、日本の最初の国際派建築家の第一人者で、今最も話題の六本木ヒルズにも関わり、2008年のUN完成の新しいプロジェクトの夢を語られ、現役で張り切っておられるのには、ほんとうに感激しました。 ※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影   「現代日本建築における技術と伝統」をテーマに大反響の3日間 2日目には、基調講演として東京大学教授で建築史家の鈴木博之氏による「日本建築の過去、現在、未来」。 午後3時からは、LouisVuittonを手掛けた青木淳氏(建築家)、NYのNew Museum を手掛ける妹島和世氏(建築家)、Richard Gluckman氏(建築家)をパネラーに、コロンビア大学教授で批評家のKennth Frampton氏が進行役のパネルディスカッション。 3日目は、午前に2回、午後に3回のパネルディスカッションと盛り沢山でした。 最初のパネリストはライス大学建築学科教授のSanford Kwinter氏、岸和郎氏(建築家)、進行はコロンビア大学講師・ケン・ただし・大島氏、その次のセッションは「職人技と新旧素材の活用」をテーマに、パネラーは、隈研吾氏(建築家)、藤森照信氏(東京大学教授・建築史家)、進行はArchitecture Record誌のClifford Pearson氏。 午後の1番目が建築家の坂茂氏と建築構造家の新谷真人氏、進行はカリフォルニア・バークレー大学建築学部教授のDana Buntrock氏。坂茂さんの分かり易く説得力のあるレクチャー・質疑応答はダイナミックに感じました。 そしてMark Dytham氏、John C. Jay氏(UNICLO,RoppongiHillsプロデュサー)、青木淳氏、司会にNaomi Pollock氏(Architecture Record誌Tokyo.)。以前、NYのブルーミング・デパートが一番華やかだった頃のディレクターだったJohn Jayが、今は日本のユニクロや六本木ヒルズをプロデュースして東京を動かしてるのかと納得したり、最後のパネラーは手塚貴晴氏と由比氏、遠藤秀平氏、阿部仁史氏、司会にMoMAのパオラ・アントネリ氏と本当に華やかな顔ぶれで、新しい日本の動きが次から次と紹介され目を見はるものがありました。東京がおもしろいという意味が大部分かってきました。   左から、Tim Carther氏、槇文彦氏、海老原嘉子 左から、坂茂氏、海老原嘉子 左から、Dana Buntrock氏、坂茂氏、新谷真人氏 左から、Naomi Pollock氏、Mark Dythan氏、John C.Jay氏、青木淳氏 左から、手塚貴晴氏、遠藤秀平氏、阿部仁史氏   MILK Gallery でのLouis Vuitton展 2004/3/10 Milk Galleryでは、世界中のLouis Vuitton建築をテーマに展覧会が開催

第50回 SOFA New York 2003

第50回:  SOFA New York 2003 (2003/7/9)   SOFA の会場風景 Sculpture Objects & Functional Art 展「SOFA New York 2003」 今回で第6回目となる「SOFA New York 2003」が5月28日から6月1日まで、Park Avenuの67th. StreetにあるARMORY(兵器庫)で開催されました。一般客も対象としており、毎年、高級工芸品、骨董品などのギャラリー、個人作家までが、現代工芸でブースを出して、コレクターなどがマークしているレベルの高いショーとして定着しつつあります。 オーガナイザーはExpressions of Culture-NY Inc.のMark Lyman。オープニングにはいつもAmerican Craft Museum(現Museum of Art & Design「MAD」)をサポートするためのギャラ・パーティーが催され、アメリカ中からコレクターが集まり盛大に行われます。 このSOFAショー、毎年5月がニューヨーク、10月がシカゴで開催され、今秋のシカゴは10月17から19日です。 SOFA の会場風景 SOFA の会場の中央に Museum of Art & Design の展示 SOFA の会場風景 全景よりCharon Kransenのジュエリー・ブースを見る SOFA の会場の中央に Museum of Art & Design の展示   Dai Ichi Arts Gallery 今年は日本や日系アジア作家の作品も増えたSOFA アメリカのクラフトは、個人の独創的、アート的なクラフトといった傾向が強く、マンネリ化していたように思いますが、ここにきて皆、そのことに気がついているようです。今年は、日本の作家や日系アジア作家の作品なども増えて、きめの細かい質の良い作品が目につきました。 また、ニューヨークでは少なかったクラフト・アートのギャラリーが、認知されてきている様子も頼もしいかぎりです。また、SOFAは、現代陶芸、ガラス、テキスタイル、家具などの専門ギャラリーのディーラーが、世界中から出展する数少ない専門的なショーであり、厳しい選択があることも特徴です。 www.sofaexpo.comで全体のパノラマ写真も見ることができます。   Museum of

第47回 Archetectural Digest Home Design Show

第47回: Architectural Digest Home Design Show (2003/4/9)   Architectural Digest Home Design Show Pier 94のエントランス風景 一般客に人気の家具トレード・ショー 第3回 Architectural Digest Home Design Show が3月6~9日まで、55丁目とウェストハイウエイの間にあるPier(波止場) 94で行われました。デザイナー、業者200社以上の出展でした。 毎年10月に行われていたこのショーが「9月11日」のために1昨年中止になり、その後、この春の時期に行うことになって今回が最初のショーです。いろいろなイベントが行われるこのPierで、 Art showも同時期に行われたので、大変な人出でした。お天気も、長い寒かったNYの冬が一瞬春の気候になったWeekendだったので家族連れで、部屋の模様替えのアイディア探しに出かけたようでした。 このショーは雑誌のArchitectural DigestとNew York Timesの後援もあり、他の家具トレード・ショーと違って広々と休憩ロビーもとってあり、楽しみながら住まいの模様替えや家電の新しいアイディアなど、一般客に人気のショーのようです。 日本から、めずらしい岩手県の伝統的工芸品 岩谷堂箪笥が出展していましたが、始めて にしてはプロフェッショナルな展示で、箪笥ファンには人気のようでした。 休憩ロビー ダイニングの奥にレクチャー会場が設けられていて、いろいろなセミナーが行われていた 日曜日、一般客も訪れるので、大変混雑していた レジデンシャルが主体なので、自動ピアノから音楽を流し、ディスプレイされていたり 岩手県の伝統的工芸品岩谷堂箪笥が初めてのブースを出品、好評でいろいろ質問されていた 癒しのリヴィング、白やオフホワイトでカントリーの雰囲気に人気が集まっていた 電気コンロでさわってもあつくなく、紙が燃えずに紙の上でお湯が沸くなどキッチンまわりの電化製品は、やはり人気で人がいっぱいだった   NYのアートシーン   Pier 88 とPier 90の International Fair of New Art、2003年 The Armory Showのエントランス風景 Scalo Zurich Gallery NYのGalleryの展示ブース ハイテクの素材で鏡の役もする透き通るカラ-シートをはめ込んだ梯子のような作品でプロダクト作品としても通用する International Fair of New Art 2003年 アーモリーショー International Fair of

第44回 VitraがNY に本格的ショールームをオープン

第44回: VitraがNY に本格的ショールームをオープン (2003/1/15)   チェルシーの元肉問屋だった14丁目の変化を物語る店が、Vitraの近所にいくつもオープンしました。 上写真は、14丁目に出店した最初のファッション系ブティック NYの今話題のチェルシー地区にVitraがオープン NYで今話題のチェルシー地区。その9番街29番地に昨年の11月、Vitraがオープンしました。 建築、インテリア、展覧会場、ストアーそしてグラフィック等といったデザインを通して‘全ての人達に刺激や喜びを与える場を提供する’というふれ込みです。スイスに本部を持つVitraが、グローバル企業として、重要なマーケットとリソースの場であるアメリカにますます力を入れ始めました。 Vitraの名前は、1950年代に創立されたガラス製造業者(Glass Vitrines)が由来です。現会長のWilli Fehlbaumの父親であるRolf Fehlbaumが、ヨーロッパでイームズの椅子と出会い、ヨーロッパで製造をするための交渉の翻訳に、16歳だった息子のWilliをアメリカのハーマン・ミラーへ行かせたのが50年代中頃です。 Vitraの創立と成功には、アメリカの偉大なデザイナー、チャールズ&レイ・イームズ(Charles & Ray Eames)とジョージ・ネルソン(George Nelson)が大きな役割を担っているのです。 Vitraは1990年からフィラデルフィアのアレンタウンで家具を製造していましたが、アメリカに3つの店とショールームをオープンしたのは、この2年のことです。 2000年にはサンフランシスコ。2002年にロスアンジェルス。そしてNY、このチェルシーの一角にショールームのオープンです。 このあたりウエストサイド14丁目は、2、3年前までミートマーケットだったところで、朝は市場として賑わっていました。ミートの臭い残る地域にアーティスト達が住み始め、ギャラリーが移り、そして最近は高級ブティックの出店…、と考えられないような変化をしています。 外観 1F Retail ショップ 2F ショールーム 地下 展示会場 最近出来たブティックStella McCartney Alexander McQueenも最近オープン   Vitra Opening Party の様子 コンスタンティン・ボイム(左)とカリム・ラシッド(右) …       1Fのショップスペース アメリカで最大規模 3階建て、12,100平方フィート(約1124平米)のこのショールームは、Vitraアメリカで最も大規模なショールームとして、オフィス・住居の為の家具や椅子、ミニ・チェアーそして本やアクセサリー等を展示しています。1階はショップ、地下は展示会場、2階はオフィス・スペース兼ショールームになっています。 建物はRoy Design StudioのLindy Royが設計を担当しています。彼女は2001年夏のMoMA Young Architects Competitionで25人の中から選ばれて、様々な出版物でとりあげられ、最近もCooper Hewitt National Design Museumの「New Hotel for Global Nomads」に出展し、NYタイムズ等に取り上げられている若手建築家のリーダーです。 … … … … … 地下へ降りる 地下の展示会場 地下の展示会場