第27回: Mies Van der Roheの大回顧展 (2001/8/8)


写真:3点ともミース・ファン・デル・ローエ氏 ポートレート

ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies Van der Rohe)の名は、デザインを学ぶものが、最初に耳にするアメリカのデザイナーの名前です。

彼は、20世紀の洗練されたガラスとスチールのアーキテクチャーのリーダーとして、最も影響力を持った事で知られています。すでに60年代、現在言われている、自然との解け合い、素材と近代建築との関わり合いをテーマに、シンプルかつ、ミニマムなスペースを創りあげました。

今回、ミース・ファン・デル・ローエ氏の、あまり知られることのなかったアメリカ以前の初期のベルリン(Berlin)での仕事を中心とした「ベルリンでのミース・ファン・デル・ローエ(Mies in Berlin)展」が6月21日から9月11 日までの期間、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されます。

また、ウィットニー美術館(WHITNEY MUSEUM)では、アメリカでの仕事を中心にとした「アメリカでのミース・ファン・デル・ローエ(Mies in America)展」が6月21日から9月23日まで、ニューヨーク近代美術館とともに同時開催され、話題となっています。

 

ニューヨーク近代美術館では、ミース・ファン・デル・ローエ氏がベルリンに到着した1905年から1913年までの建築家としての仕事のほか、文化的な風景をもつヨーロッパ(Europe)とベルリンにおける1886年から1969年までの初期の仕事に焦点を合わせた、氏の建築の仕事のすべてが展示されています。

288のオリジナルの描画、15のモデル、ヨーロッパでの47のプロジェクト、そしてビデオとデジタルのディスプレイを含めた展示により、アバンギャルドなプロジェクトと並んで建築家である彼の伝統的なプロジェクトを見せています。

この展示会でのドローイングの大部分は世界中からコレクションされたもので、ニューヨーク近代美術館においてアーカイブされているものですが、最近再発見されたコンペに提案した「5×8フィート」フルのカラーのパース、「オットー(Otto)・フォン・ビスマルク(Bismarck)、ドイツの統一の「父」への記念碑」は1910年から一度も主要な展示会で見られたことがない作品です。

 

「ベルリンでのミース・ファン・デル・ローエ展」の入口(MoMA)

代表的なMies氏の椅子「バルセロナチェア」

銀行とオフィス・ビル・プロジェクト1928
モデル 制作:Richard Stuegeon & Derek Conde. 2001

Bismarck Monument Bingen-am-Rhein 1910

Eslers House and Hermann Lange House 1927-30
モデル 制作:Environ Architectual Modelbuildeas Inc.

Concrete Country House Project 1923

 

Geaman Pavilion Barcelona International Exposition 1929
モデル 制作:Environ Architectual Modelbuildeas Inc. 2001

Thomas Ruff hIk01 2000
Hermann Lange House 1927-30

ビデオとさらに展示会のために特注されたデジタルの模型は私たちに、彼の建築のインテリアと外の風景の関係をわかりやすく見せてくれます。

ウオーク・スルーのRiehl House、Wolf HouseやHubbe HouseとResor House、1927年の展示会のためにされたガラス部屋展示、そして1931年のベルリン建物展覧会のための住居等もVirtual Walk – throughするように企画されています。

ミース・ファン・デル・ローエ氏はニューヨーク近代美術館でスタートした人物で、1932年、フィリップ・ジョンソン(Philip Johnson)にNYへ呼ばれ、最初のアメリカン・レビューを果たしました。これはフィリップ・ジョンソンとヘンリー – ラッセル・ヒッチコック(Henry – Russell Hitchcock)によって企画されたニューヨーク近代美術館の近代建築の国際的な展示で、その後、フィリップ・ジョンソン氏とミース・ファン・デル・ローエ氏のコンビは、1932年から1934年まで、そして1946年から1954年まで近代美術館の建築とデザイン課のディレクターを務めました。

2回目は最初のミース・ファン・デル・ローエ個展として、ジョンソン氏によって1947年にニューヨーク近代美術館で展示企画されました。

今回の展覧会は、テレンス・ライリー(Terence Riley)、ニューヨーク近代美術館建築部チーフ・キューレーターとバリー・バーグドー(Barry Bergdoll・Professor of Art History、コロンビア大学)の2人のキューレートで、このミース・ファン・デル・ローエ大回顧展の「ベルリンでのミース・ファン・デル・ローエ展」がニューヨーク近代美術館で実現しました。

 

入口近くに展示されている Heren Resor House

そして、ウィットニー美術館で開催れる「アメリカでのミース・ファン・デル・ローエ展」では、彼がアメリカ合衆国(United States)に移住し、シカゴ(Chicago)にスタジオを設置してから死去する、1938年から1969年までの仕事が紹介されます。

この展覧会は、カナダのアーキテクチャーセンター創立デイレクターであり、会長のフィリス・ランバート(Phyllis Lambert)女史によりオーガナイズされます。

 

The Wolf House Quick Timeでウォークスルー出来るモデル

Off-the shelf materials The Midwest steel mills

 

ウィットニー美術館では、220のドローイングと60枚の写真と模型が展示されています。最初のワイオミングのジャクソン・ホールにあるHeren Resor House(1937-38年)のモデルから始まり、ITT(Illinoisa Institute of Technology)、ミッドウェスト・スティール・ミルのOff-the shelfの材料のビデオが展示されています。

 

Farnsworth House, 1945. Plano, Illinois

第2部屋ではFarnsworth House(Plano Illinois 1945-51)に関して、Mrs. Farnsworthはドクターの女性で、ある時会合で建築家のミース・ファン・デル・ローエ氏に会い、彼の考えを尊敬し、自分のカントリー・ハウスを依頼したそうです。

彼女はデザインの事をあまり気にかけず、ミース・ファン・デル・ローエ氏のコンセプトに基づいた、自然の中に入り込んだようなスペース、スティールの骨組みと四方がガラスの建築ができあがりました。

 

しかし、静かな自然ととけ込むはずの生活は、当時の雑誌がこぞって、取材に押し寄せるという、いつでもどこかから見られている状態と、夜のあかりに集まる虫で、ガラスが虫の壁に変貌するという事から、結局、仲違い状態となり、最終的に持ち主は、まわりにカーテンを引き、自分の好みの家具を入れ、ミース・ファン・デル・ローエ氏の思惑と違う状態で、住んでいるそうです。

今回、その写真も展示説明が加えて展示してあるのが現実的で身近な気がしました。

 

他に、50×50 Houseというプロトタイプのスティールとガラスのハウスのアイディアはマスプロの時の基礎計算として出されていました。
これは、これを様々に発展させていくもので、1953年のシカゴのコンベンション・ホール(Convention Hall)はこのアイディアを膨らませ、柱をなくして広い空間をスティールの組み合わせで保たせた最初の建築物で、これはコンペで通ったプロジェクトだそうです。

また、新しくこの展示の為に3つの模型がつくられ、スキン&スケルトンのアイディアの3つのエレベーションが展示比較され、時代と共に新しいテクノロジーや素材で、改造され工夫されている様子を見る事の出来る模型展示となっています。

Convention Hall Chicago(上下写真とも)

Seagram Building, New York 1954-1958

New National Gallery Berlin, 1962-1968

シーグラム・ビルディング展示会場を見る

New National Gallery Berlin 1962-1968

 

マンハッタン53丁目のシーグラム・ビルディングに関しても、思わぬ物語があることがわかり、大変興味深く見ました。シーグラム・ビルディングを建てようとした当時、社長のSamuel Bronfman氏は一般的な建築家を選んでいたらしいのですが、ヨーロッパへ建築の勉強に行っていた娘の、せっかくだから有名な建築家を起用するのはどうか、というアイディアに父親は、卒業後かならずアメリカに戻ってくるなら、好きな建築家を起用してよろしいという条件をだしたそうです。

 

Phyllis Lambert女史(カナダ・アーキテクチャーセンター会長)

彼女は帰国して、ミース・ファン・デル・ローエ氏を推薦、ビルが出来上がるまでのプロジェクトに参加して関わったそうです。

そして、この女性が現在のフィリス・ランバート女史(カナダ・アーキテクチャーセンター創立理事・会長)であり、この展覧会のキューレーターなのです。

他に部屋一杯の大きなスクリーンに写しだされるベルリンのNew National Galleryでは、24時間の自然と光の移り変わりを、同じ画面で追い続け、そこに実際に入り込んでいるような状態を創りだしています。ビデオを新しい薄い画面であちらこちらで、見せるという、建築展の新しい見せ方の方法を感じました。

■ ニューヨーク近代美術館(MoMA)ミース・ファン・デル・ローエ展