第20回:(1)鳥を描き続ける画家、ハント・スローネンの優雅なライフ・スタイル  2001/1/17


21世紀の幕開けは、久しぶりの大雪で始まりました。大晦日のタイムズ・スクエアーの興奮とは裏腹に、NYの正月休みは一日だけでした。

今回は、デザイナーではないのですが、友人のハント・スローネン(Hunt Slonem)氏を紹介します。1992年に新宿京王デパートで行なわれたニューヨーク展で、彼を日本に初めて紹介したことが知り合ったきっかけでした。その頃彼は、SoHoのイーストハウストンのロフトに70羽近いトロピカルバードと一緒に暮らしており、鳥の絵を描く作家として注目され始めていました。

大変大きな鳥カゴは、子供部屋程もあります。彼の毎日は2時間かけて作った餌を鳥に与えることから始まります。これが彼の作品の素材の元でもあるのです。カラフルな彼の鳥の作品は観る者に不思議な安堵感を与えるのです。その頃から彼の作品は人気が出ると思っていました。

そして6年程まえ、チェルシーに1万スクエアーフィートのスタジオを構え、トロピカル・バードと彼の収集しているクラシカルなフレームや椅子などを置き、制作の場としています。

彼の好きな物で溢れているこの部屋は、訪問者を驚かせます。部屋に入るとまず、廊下にずらりと並んだ椅子のコレクションが目に入ります。キッチンから見えるマンハッタンの景色は素晴らしく、廊下づたいに、赤、グリーン、黄色、ピンクで色分けされた部屋がならび、それぞれの部屋には、彼の作品がお気に入りのフレームに入り壁いっぱいに飾られています。その部屋を通り廊下を抜けると見えて来る広々としたリビングルーム/スタジオは、また圧巻です。鳥のためのスペースと、制作のための場所が十分にあります。彼の個人的な趣味だけで構成された空間です。

ハント・スローネンの水彩画

チェルシーのハント・スローネンのロフトのキッチンから。ダウンタウンとNew Jerseyの景色が見渡せる

ガラスのコレクションと彼の絵

スタジオの一部。奥がジャングルの様な景色。

 

廊下のview

レッド・ルーム

グリーン・ルーム

イェロー・ルーム

ピンク・ルーム

リビングルーム/スタジオ

鳥かごと鳥

キャンドル・スタンド・コレクション

鳥かごコレクションのひとつ

ジャングルの枯葉をとったり、様子をみるハント

ハント・スローネンの油絵

レッド・ルームに飾られているハントの絵

 

このような個性的な部屋は、ニューヨークでも注目の的となり、DKNY(ダナカラン・ニューヨーク)のカタログの舞台として撮影が行なわれました。こうしたお洒落な住いは、度々雑誌の撮影に使われます。
しかし、ハントの部屋には、流行等とは関係なく、彼自身の幸福の為の空気が流れています。そもそも子供の頃に住んでいたハワイで両親に買ってもらった鳥が、彼と鳥との出会いであり、彼の最初の友達だったそうです。それから鳥をコレクションし始め、後には、彼の作品の糧になったのです。毎日抜け落ちる羽根を集め、展覧会の時のギャラリー会場の壁に突き刺したインスタレーションは印象的です。そしてオープニングの時に感じるのですが、日本で感じる画家や先生と違って、彼はニューヨークの社交界に溶け込んでいます。
鳥という一つの素材にこだわり続ける彼は、自分の好きなものだけに囲まれて、自由に生きているように私の目には映りました。今年からは私も好きなことにだけ集中して暮らせる様な人生を送りたいものだと、事始めに思った次第です。

DKNYのカタログのカバーからすべてハント・スローネンのロフトで撮影

 

第20回:(2)ニューヨークの地下鉄と宇多川 信学氏  2001/ 1/17


1日500万人が利用するという24時間フル稼働の、ニューヨークのサブウェイ。ニューヨークっ子なら誰でも利用するこの地下鉄車両が、新しく川崎重工から納入されました。

この車両のデザインは、ニューヨークで活躍する日本人デザイナー、宇多川 信学(うだがわ まさみち)氏(35歳)によるもので、話題を呼んでいます。この1、2年、ニューヨーク市民のなくてはならないものになってきた、メトロカード(代金先払いカード)の自動販売機のデザインも彼が手掛けました。

この地下鉄も、日本の会社と日本のデザイナーという繋がり方ではなく、ニューヨークのメトロポリタン交通局(MTA)が落札したのが、川崎重工の米国現地法人、カワサキ・レール・カー社(Kawasaki Rail Car,Inc.)の車両で、公募の中から採用されたデザインが、たまたま宇多川さんのデザインだったという偶然が重なったためです。肩書きやスタジオの大きさなどでなく、良いデザインと良い製品を、採用するアメリカ行政の懐の深さを感じます。

彼は、千葉大学の工業デザインを卒業後、87年にヤマハに就職し、シンセサイザーなどの電子音楽機器のデザインを担当しました。その後89年にクランブルクアカデミーに留学し、工業デザインを再勉強して、卒業後、92年から95年までアップルコンピュータ社で働いて、同社のパワーブックやプリンターをデザインしました。退社後、IDEOのニューヨーク支店長として赴任し、その後、パートナーのシギ・モスリンガーと、アンテナ・デザイン・ニューヨークを設立して、インターラクティヴロゴ、IBMやソニー向けインターフェースのデザイン、リモートコントロールのデザインなどを手がけて、数々のデザイン賞を受賞しています。

今回の大抜擢は、実力主義アメリカならではの出来事ではないでしょうか。輝きを増してゆく彼の姿と活躍振りは、NYに住む我々日系人にとって大変な誇りです。ニューヨークのシンボルであるサブウェイには、2001年12月までに彼のデザインした車両が400両納入されるそうです。ニューヨーカー達は、新鮮な気持ちで新世紀の新車両を歓迎しているようです。

Antenna Design New York
http://www.antennadesign.com

地下鉄車両エクステリア

地下鉄車両インテリア

メトロカードの自動販売機