特別編: WTCビル崩壊に寄せて (2001/10/03)


事件の16日前、8月26日撮影

Green StreetとGrand Street。爆音を聞き、直ぐ横の道から写した。(9:20頃)

West BroadwayとCanal Street(9:30頃)

WTC(世界貿易センター)ビルは個人的にとても深い意味のある建物です。今回は、事件に対して個人的な角度からまとめてみました。

毎年、我が家の年賀状は、NYのスカイスクレーパーをバックに写して30年続いています。8月26日はとても良いお天気でした。この日はめずらしく、(観光でもないのに)最近発展してきているというニュージャージーサイドまで、フェリーで見に行きました。今年の年賀状の景色はこれにしようと決めた船上で写した写真が、WTCビル崩壊から16日前の、最後の写真になってしまいました。

WTCビルには、他にも縁があります。
WTCビルが、日系人ミノル・ヤマザキ氏によって設計されたことは有名です。実は、1964年、最初に渡米した時、伯父の家で、彼が子供の時の写真を見せてもらいました。

私の母方の親戚は、1887年にアメリカに渡り、その後、シアトルで最初の日系人教会をサクラメントに建てました。伯父は、写真を見せ、その教会の前に並ぶ10才前後の生徒達の中に写った、ミノル・ヤマザキ、ジョージ・ナカジマ等を自慢気に教えてくれました。

この年は、ちょうどミノル・ヤマザキがWTCビルのコンペで、この仕事を取った年でしたので、伯父が誇りに思い、私に教えてくれたのでした。
毎日の報道では、映画のシーンを見ているようで、実感がないと思います。ですが、私の仕事場でもある住居は、WTCビルから15ブロック、約1km先の場所にあります。WTCビルの2度目の爆音を身体で感じ、大きな交通事故でも起きたのかと思い、外を見て、TVの画面を見たところ、WTCビルに炎があがったところでした。

実際に私の友人は、11日の朝早く、WTC第1ビル45階で1人で勤務についていました。爆音の後、誘導され、皆と45階から逃げ降りたそうです。階下のスプリンクラーでびしょぬれになり、外に出てWTCビルの火事と破片の散乱状況から大事を知ったそうです。そして、逃げろ逃げろの声と、後ろからの爆風と白煙から夢中で逃げ延び、私共の所へ助けを求めてきました。TVの実況と涙ながらの彼女の恐怖の体験談を聞き、もしも避難があと5分遅かったら、と彼女の無事を喜びました。ですが、階段をどんどん上がっていく消防団員やレスキュー隊員と大勢すれ違った、と涙ぐむ彼女に、会社の上司との連絡、領事館への連絡など、やらなければならない事も次々に頭に浮かび、彼女と一緒にオロオロと慌ててしまうばかりでした。

1歩出たGreene Streetから毎日見えていたWTCビルが、消えてしまいました。全く信じられない出来事が起きてしまいました。

Green Street とCanal Streetから9:25頃

左写真と同じ場所で夕方

WTC第7タワーがまだ燃えている9月16日

運び出された車

消防士

警備員

9月14日のキャンドル・サ-ビス

9月14日のキャンドル・サ-ビス

9月14日のキャンドル・サ-ビス

 

事件直後、Canal Street以下は立ち入り禁止地域で、入ることが出来きませんでした。
しかし、1週間目の月曜から職場の証明をみせて入れるようになり、グランド・ゼロの近くまで、行くチャンスがありました。

行く途中には、まだ道に置き去りのままの車の残骸などがありました。TVで見た光景と同じ現場を現実に目にすると、やはり身につまされました。しかし、現場はTVで見たよりもさらにひどいものでした。とても高い10階ほどもあるツインタワーの鉄枠や、まだ5階分位は残っているのではないかと思われる、崩れた建物のコンクリートや鉄くずの中で働く人たちが小さく見えました。大きな鋼鉄をひとつつずつ切り、運ぶ作業が行われていました。建設用のトラクターや器械類は、建設の為に出来ているので、壊す道具としては向いてないようでした。

 

消防署の前の学生寮に張り出された、消防士へのお見舞いと感謝の手紙

また、デリケートな作業なので、皆神経をつかいながらの24時間作業をしていました。街にはアメリカン・フラッグがあふれていました。アメリカン・フラッグは、この大惨事にまけまいとする活力のささえになっています。しかし、その反面、私達はこの大惨事に負けまいと、アメリカン・フラッグにすがっている様な気もします。

消防署の前におかれた沢山の花とCandle

様々なアメリカ国旗が>ウインドウに飾られる

様々なアメリカ国旗が>ウインドウに飾られる

星条旗を飾るウィンドウ-SOHO

ベルヴュー・ホスピタルの壁一面に貼られた行方不明の方達の写真

ベルヴュー・ホスピタルの壁一面に貼られた行方不明の方達の写真

グランド・ゼロの瓦礫の山

グランド・ゼロにて1本ずつ鋼鉄くずを運ぶ

今、3週間がたち、いろいろな現実問題も出てきています。団結して立ち上がった、この活力を平和のエネルギーへとつなげてほしいと祈るばかりです。 __ 海老原嘉子