スタテン・アイランドの記念碑の国際コンペ

これは3年前に起きた9月11日の同時多発テロのスタテン・アイランドの犠牲者を悼む記念碑の国際コンペで、世界19か国から179のエントリーがありました。その中から日本の曽野正之氏が単独で手掛けた「ポストカード」が選ばれました。この作品は、葉書を267倍に拡大した「世界一大きなツイン・ポストカード」に、切手とみたてた267人の被害者の名前と横顔を記念碑に刻んだ作品です。

記念碑は2004年9月11日のオープニングセレモニーを目指し、総工費200万ドルをかけてマンハッタン島を臨む公園に設置され、9月11日の6時からメモリアル式典が行われました。式典にはジュリアーニ前市長、ブルンバーグ市長、James P. Molinaro: Staten Island Borough Presidentが出席し、各氏のスピーチに加え曽野氏のスピーチが行われました。続いて、犠牲者の遺族らが2つの記念碑の間を通り、花や祈りを捧げていきます。遺族はそれぞれ故人の顔を探し「似ている」「面影がわかる」などと親しみのある記念碑に好感を持ち、これまでのメモリアルとは違った記念碑に大変喜んでいるようでした。

曽野氏が一番神経を使い、時間がかかったという、正面の写真から起こした犠牲者の横顔は、遺族ひとりひとりとやりとりをしたもので、納得するまでの行き届いた仕事が報われたように思いました。

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【 2 】 夕暮れに染まる記念碑
【 3 】 大勢の人がメモリアル式典に集います
【 4 】 メモリアル式典、開会の様子
【 5 】 左がMichael Bllomberg NY市長、右が曽野正之氏
【 6 】 左から、James P. Molinaro: Staten Island Borough President、曽野正之氏、Michael Bllomberg NY市長
【 7 】 記念碑に刻まれた故人の横顔に花を捧げる遺族ら
【 8 】 曽野氏がひとつひとつ起こした被害者の横顔
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曽野正之氏のご紹介・記念碑制作経過

曽野正之氏は1970年、西宮市生まれの33歳。建築家。コンピューターによる、リアリティーを感じさせる表現の繊細なディテールは、右に出るものがいない、と皆が認めています。このコンペでは犠牲者と遺族、友人や私達を繋ぐシンボルとして「ポストカード」を発想し、心に空いた穴をなんとか繋ぎ止めることを考えたそうです。ハガキを様々な形にして模型を作り、それを267倍に拡大した世界一大きなツイン・ポストカードを作り、これを「送りたい・受け取りたい」というのがコンセプトだそうです。また、曽野氏は、世界共通のポジティブなコミュニケーションのシンボルである手紙は、今回の主旨にピッタリだと思ったといいます。267人の被害者の個々の名前と横顔が、記念碑の内側の石に刻まれています。

彼はこのプロジェクトのために会社を休職し、2003年11月あたりから基礎工事を始めました。それに先立って施工図面を引き、モックアップ(模型)を作り、予算や強度などから、素材は最初に予定していたコンクリートに変えて Fiber Reinforced Plastic(ファイバーレインフォーストプラスティック)FBPを使用する事になりました。このFBPは、Eグラスファイバーを含んでおり、一般的にボートを製作する塩水に強いとして知られる素材なのだそうです。

【 10 】 記念碑制作経過の様子(写真10~19) 撮影:曽野正之
【 11 】 撮影:曽野正之
【 12 】 撮影:曽野正之
【 13 】  撮影:曽野正之
【 14 】  撮影:曽野正之
【 15 】  撮影:曽野正之
【 16 】  撮影:曽野正之
【 17 】  撮影:曽野正之
【 18 】  撮影:曽野正之
【 19 】  撮影:曽野正之

被害者の名前と横顔を建物の内側の石に刻む

彼の思い描く、267人の犠牲者の名前と横顔の入ったメモリアルを実現させるために、一人につき4~5枚の写真を用意してもらったところ、横顔の写真がない人が多かったため、曽野氏とアーティストのチーム(Lapshan Fong,岡 利彦氏 その他数人)が正面や斜め前の写真から横顔を起こしていきました。最終的に一人一人の親族から「OK」をもらうまでのやり取りに、予想以上に時間がかかったそうです。
今回のメモリアルで初めて、記念碑に刻まれた故人の横顔に花を捧げた遺族らは、「空に飛び立っていくような形で、とても心休まる素敵なモニュメントだ」と、皆が褒めていました。また、夕日のオレンジから暗くなる中で、2つのポストカードの間に見えるマンハッタンのWTC後のビューが、青く変わっていくシーンのセレモニーは、大変感動的でした。

【 20 】 運搬され、設置される様子(写真20~26) 撮影:曽野正之
【 21 】  撮影:曽野正之
【 22 】  撮影:曽野正之
【 23 】  撮影:曽野正之
【 24 】  撮影:曽野正之
【 25 】  撮影:曽野正之
【 26 】  撮影:曽野正之
【 27 】 曽野氏による作品のドローイング

世界から注目される曽野氏の努力の結晶

彼は今回の記念碑について、
「建築のスケールと技術が必要で、建築の一部ではありますが、建築ではない特別なモニュメントです。そのカテゴリーのないところが、たまたま自分のデザインの傾向とご遺族の求めていたものとに合致した形です。
昔から絵を描いたり展覧会をやったりしていましたから、自分としては正直、建築よりも今回の方がやっていてピッタリきました。僕が心配なのは、建築界から建築家として認められず、アートの分野からはアーティストとして認められない、どっちつかずの立場になってしまわないかということです。そうならないようにして、建築をコツコツ続けていけるのならそれでいいです。」という。

曽野氏の友人達は彼を「Masa、Masa」と呼んでいます。彼は大変な努力家で、いつも自分が一番汗をかく仕事を引き受ける、作品を含め、Ego(我の強いとこ)がなく、自然体で綺麗で無駄のない流水のような形を作る人、それでいてきちんとファンクショナル、ピュアでポジティブな仕事をする人、と絶賛されています。

この「ポストカード」プロジェクトで脚光を浴びた曽野氏。彼の今までの努力の結晶が世界から注目される作品のモニュメントになりました。曽野氏には国際的な日本人として、これからの複雑な世の中に、より心のなごむ良い作品をどんどん発表してほしいと思いました。

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【 29 】 記念碑に刻まれた故人の横顔に花を捧げる遺族ら
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【 32 】 2つのポストカードの間に見えるマンハッタンのWTC後のビュー(写真32~35) 撮影:斉藤和彦
【 33 】  撮影:斉藤和彦
【 34 】  撮影:斉藤和彦
【 35 】  撮影:斉藤和彦
【 36 】  撮影:斉藤和彦

※表示あるものを除き、写真は全て海老原嘉子撮影